尾州産地

尾州産地とは【地理的説明】

尾州(びしゅう)という呼び名は、昔の尾張(おわり)国の通称です。尾張国は、奈良時代から明治初期まで続いた日本の律令制(りつりょうせい)に基づく地方行政区分(=令制国)の一つで、愛知県西部の旧国名です。隣接する国としては、左に伊勢(三重県中央)、右に三河(愛知県東部)、上に美濃(岐阜県南部)がありました。 この尾張(尾州)北西部へは、今で言う一級河川の木曽川が信濃から美濃南西部を通って流れて伊勢湾へ注ぎ、一帯に肥沃な濃尾平野を古代より形成していました。この地方で昔から農業はじめ織物を中心とした繊維産業が盛んになったのは、桑畑(養蚕の絹)、綿花畑(綿糸)に良い土壌や、糸、織物の染色加工や仕上げ整理に適した軟水等、木曽川の豊かな水と肥沃で温暖な濃尾平野の恩恵があったからとも言えます。それは、近代有名となった毛織物生産へ続いています。 繊維業界では織物の尾州産地として有名ですが、現代の地理名でいうと、「尾州産地」とは、愛知県一宮市、稲沢市、津島市、愛西市、江南市、名古屋市及び岐阜県羽島市、各務原市(かかみがはらし)の周辺を言います。今の尾州北部は岐阜県にまたがっています。7世紀に律令制で成立した尾張国と北隣の美濃国は木曽川を国境としました。今も県境ということで同じですが、豊臣秀吉の頃、天正14年(1586年)の大洪水で今より北を流れていた木曽川の川道が南方に変わったため羽島地区が美濃国に編入され現在に至るからです。

history_01history_02