<Kのつぶやき>尾州毛織物の歴史と産地について -Vol.3 尾州産地とは-

2024年11月6日(水)~7日(木)、東京国際フォーラムで開催された「JFW JAPAN CREATION2025」内にて「Bishu Style 2025」が実施されました。今年の「Bishu Style」は、装いを一新し、「Brand New Bishu Style」として尾州産地と毛織物の認知度向上を目的に、パブリックスペースを展開しました。

ブースでは「尾州毛織物の歴史と産地について」や「毛織物ができるまで」の映像を放映し、さらに毛織物ができるまでの工程を一部現物展示で解説しました。「Premium Textile Japan」と「JFW JAPAN CREATION」は日本最大規模のテキスタイルイベントであり、多くの来場者が各ブースを回り商談や挨拶を行います。そのため、来場者が長時間立ち止まって映像を見るのは難しいと考え、映像の中で「テキストデータをJWWA NETにて展開中!」とのテロップを表示しました。

今回は会場で放映した「尾州毛織物の歴史と産地について」の文字データを、3回に分けて我が国における国産毛織物製造の歴史から尾州産地の成り立ちをお伝えいたします。

今回は“尾州産地とは”編です!

【尾州産地とは ~About Bishu~】


尾州とは、7世紀後半の書物に出てくる「尾張国(おわりのくに)」という日本の地方行政区分だった令制国の名称が起源とされています。尾州は愛知県北西部(西尾張地域)から、岐阜県羽島市、各務原市(かかみがはらし)を中心にしたエリア(西濃地域)を指し、愛知県一宮市に流れる木曽川が伊勢湾へ川水を注ぎ、その一帯に広がる肥沃な濃尾平野が形成されることで、桑畑(シルク糸を作るのに欠かせない蚕が食する“桑”の畑)や、綿花畑に適した土壌や木曽川の軟水が染色・加工等に適していた環境下の中で、尾州産地では繊維産業が繁栄したのです。
令制国地図
~“wikipedia”HPより引用
木曽川 濃尾平野
~“wikipedia”HPより引用

 

この恵まれた環境と社会状況に順応するように「麻⇒絹⇒綿」と主要原料を時代と共に変化させながら、昭和初期からは毛織物が盛んになり、現在では世界的な毛織物産地であるイタリアのビエラ地区、イギリスのハダースフィールド地区と並び、世界を代表する毛織物産地と称され、日本国内毛織物生産の約7割を占め、名実ともに日本最大の毛織物産地になっています。


~Photo:Pexels

~Photo:Pexels
綿
~Photo:Pexels

 

時代が昭和(1926~1989年)から平成(1989~2019年)、令和(2019年~)に移り変わり、市場が求める需要に合わせて毛織物を中心に綿や麻、シルク、そしてハイグレードな化合繊との複合織物・編物の総合産地として、糸から染色、織・編、仕上げに至るまで一貫した生産体制を整え、多品種少量生産、高品質で高感度な素材を生み出しています。一概に尾州産地と言っても5つの地区に分かれ、それぞれの特徴を活かしたモノづくりを行っています。

 

<尾州産地を構成する5つの地区> 
・尾西地区 ・尾北地区 ・津島地区 ・名古屋地区 ・岐阜県地区

~Photo:Pexels

 

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・日本の毛織物130年の軌跡(発行元:尾州地域新世紀産業振興事業委員会)
・毛織のメッカ尾州~尾西毛織工業90年のあゆみ~(発行元:尾西毛織工業協同組合)
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this blog written by T.Kanemaki
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